これは転換特定地方交通線の廃止第1号であった。 1984年(昭和59年)11月1日 日本国有鉄道黒石線が弘南鉄道に転換。 15時• 多くが田園地帯の中を行く弘南線ですが、平賀、津軽尾上、田舎館など集落のある駅では多くの方が下車しました。
18 16:21) 空路名古屋へ 本日は青森空港から飛行機で名古屋へ帰宅します。
非常に微妙なタイミングでの踏査であったが、この数年後の姿を今回の踏査と対比してみたいとも思う。
1992年の「第三次黒石市総合開発計画 基本計画」で黒石市は目標として「黒石線の輸送力増強」を掲げていた。
寝台特急「あけぼの」が健在ならば迷うことなく鉄路利用でしたが。
搭乗した便も月曜日ながらほぼ満席で、増便されるもの頷けます。 やがて平賀に到着しました。
(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)• 18:10 発 18:46 着• 駅名標。 路盤の跡は大きく削られて、2車線の道路になろうとしていた。
(昭和25年)7月1日 津軽尾上 - 弘南黒石(現在の黒石)間が開業し全通。
日本国有鉄道(国鉄)の特定地方交通線で、同じ青森県内の大畑線とともに純民間資本の民営鉄道に転換された数少ない例であった。
白い柵が見えるのが黒石線が乗り入れしていた4番線ホーム。
まぁ中途半端に遊歩道にされるよりはましか…。
川部駅北側の踏切上より、川部駅を眺める 奥羽本線の踏切を渡り、旧黒石線との分岐点付近まで進みましたが、これだけの雪ではとても線路跡の上を歩くことなど無理。 それ以外は2両編成で運行され、を行う。
奥羽本線 弘前駅より徒歩5分、安い。
6kmを結んでいたのです。
これが廃止された旧黒石線の気動車用検修所、雪に埋もれていますが隣にも島式ホームがあります。
黒石線を廻る前の前菜といったところか。 4 407 路線廃止 収入実績 黒石線の転換後の収入実績を下表に記す。 1912年(大正元年)に軽便鉄道として始まった旧国鉄黒石線が奥羽本線(五能線の起点)川部駅から弘南黒石駅の北方の黒石駅まで6. 右の白い建物は黒石線の検修所。
19ホームは2200形導入により、長さ1両分がかさ上げされた程度 川部駅も同様 田んぼとリンゴ畑の真ん中で周辺の人家はまばらで、朝夕以外の乗降客はいたのかと思えるほどのロケーション? 黒石からこの線を利用する人は青森方面か五所川原方面以外にはいなかったのではなかろうか 当時の樽沢社長は黒石線を電化して循環線構想までぶち上げていた。 表中、収入の単位は千円。
現在、4番線だった部分には柵が張られている。
5km、13分程で到着です。
左の一段高いところが路線跡。
6) 構内に展示されている8600形蒸気機関車は、2011年(平成23年)に鰺ヶ沢町役場から移設されたものです。 青森県内初の電化。 12:50 発 13:26 着• 弘南鉄道黒石線は元々は国鉄黒石線として大正元年に開業した奥羽本線川部駅~黒石駅間のわずか6.2㎞を結ぶ盲腸線であった。
活性化協議会は黒石線の今後の方針について、 弘南鉄道トップに最終的な結論を委ねることに決めて解散した。
写真中央に鉄道に関連する設備が残されています。
(平成10年)4月1日 全線 6. 大鰐線の乗車記はです。
ホーム上に簡素な待合室があるだけだった。
なお現在、黒石~川部間のバスは5往復(土休日4往復)のみです。 2km となる 1986(昭和61)年4月1日 弘南川部駅を川部駅に、弘南黒石駅を黒石駅に改称 1988(昭和63)年8月1日 ワンマン運転開始 1998(平成10)年4月1日 全線 6. 弘南鉄道弘南線の歴史 弘南鉄道弘南線の歴史を簡単にお復習いします。
財政措置として期限付きで各種交付金・補助金が支給されたが運賃は値上げとなり、低減策として単線自動信号化・設置などの合理化を進め、収支増加策として列車本数の増加や特定の時間帯が割引運賃となる「特割ショッピング回数券」を発売したり、黒石駅舎を新築しの店舗を併設して集客を図った。
1998年4月1日、黒石線は廃止された。
ホームの先から2編成を写しました。
なお、冬季は構内やポイントなどの除雪のための除雪要員2名が配置される。
転換後輸送量は減少し、転換時の約半分になった時点で廃止されている。 (国立国会図書館デジタルコレクション)• 利用状況 輸送実績 黒石線の転換後の輸送実績を下表に記す。
構内には黒石線の車両が使用した検車庫がそのまま残されている。
国鉄時代、黒石駅は現弘南黒石駅よりも離れたところにありましたが、譲渡時に弘南鉄道側に乗り入れるよう工事され、新たに750mレールが新設されました。
当駅始発• 弘南鉄道(2018年3月19日閲覧)• 五能線区間から入ってきたキハ40、弘前への発車待ち 川部駅はかつて、鉄道が十字にのびる本当に大きな駅でした。
2km となる• 大鰐線も学校名の付く駅名が多かったのですが この弘南線も、どうもその様です。 運転士さんによると小坂鉄道からやってきたキハ2100形は冬期間、吹き荒れる津軽平野の風に立ち向かう力が弱く、到着 定時と行かないことが多かったそうな。
16沿線は平坦な田園を走るありふれた風景で、途中駅も1つだけでした。 この点、同じく既存の純民間事業者のへ譲渡されながら、時刻表の掲載位置が他の第三セクターなどと同じと対照的な扱いであった(下北交通は大畑線が唯一の鉄道線だったため、他に路線のある弘南鉄道との事情の違いはある)。
1980年にが成立し、黒石線は(昭和56年)に第1次特定地方交通線として承認された。
そのネガをなくしてしまったのだ。
煉瓦造りの時代を感じさせる重厚な作りです。
交換可能駅:6(弘前、新里、館田、津軽尾上、田舎館、黒石) 歴史 [ ]• 1992年の「第三次黒石市総合開発計画 基本計画」で黒石市は目標として「黒石線の輸送力増強」を掲げていた。
5陽も西に傾き、雲がピンク色に輝き始めています。
複線区間:なし(全線)• 断続的に工事は進められているようである。
「活性化推進協議会」が設置されてから6年後であった。
開業にあたっての公官庁 仙台 との業務や鉄道関係のノウハウを京浜急行から全面的に受けて開業した。