(左から)音無さん、村井麻友美さん、村井國夫さん。 最終話(2015年6月12日、) - 高橋美代• 「乳がん」と「うつ」の克服にはやはり家族の大きな支えがあったのですね。
長女は6歳、長男は2歳でまだ卒乳していませんでした。 <あせて読みたい!>. 「」でも書いていますが、苦しいときに笑えるかどうかが大切です。
() 「しんどい」 「つらい」 「死にたい」 そういった感情に24時間襲われるのです。
しかし、うつ病になると、 ずーっとマイナス思考なのです。
また、村井國男は、その美声から、ミュージカル俳優として、数多くの舞台にも出演しています。
「こんなはずではなかった、普通の人と変わらないで帰ってきたはずなのに、やっぱり病人なんだって・・・」。
幼馴染である俳優の地井武男に勧められて劇団「若草」に入団したのが、芸能界入りのきっかけ。
村井國夫は、男性部員たった2人の演劇部で、辻萬長に演劇のイロハを学んだ 村井國夫の芝居の原点は、高校時代にまで遡ります。
1982年に娘・麻友美を産み、3年後に息子・健太郎を出産しました。
胸元が大きく開いていたのだ。 その後、病気を隠し続けていたことなどが引き金になり抑鬱状態に。
Sponsored Link 病気だった? そんな音無しさんは、 宗教からの洗脳が解けて、 ほっとしたのも束の間、 1987年、38歳の時、 乳がんを患われ、左胸を全摘出されています。
だが、冷静さを装っていても心の中は激しく動揺していたのである。
「苦しいときは苦しいんだから暗くて当然」と思うかもしれません。
壁に自分の身長と同じ高さの目盛りのついた紙を貼り、その横に立って少しずつ左腕を上げていくリハビリだ。
(1981年10月 - 1982年1月、NTV) - 独身の女医• けれども4日目からは痛みが引いていき、それとともに食欲も回復し、またいつものような元気が戻ってきた。 女優、音無美紀子さんもうつ病を患いました。
(2003年9月16日、TBS) - 大塚芳子• スーパーに行ってもかごに何一つ商品は入らず、何も買わないで帰って来てしまうという有様でした。
しかし、大学は玉川大学を卒業されているということで、現在は難病や発達障害とは無縁のようですね。
おとなし みきこ 1949年、東京都生まれ。
二階の踊り場に立てば、「ここでは死ねないだろうな」と思い、 電車が下に走る陸橋に立てば、 「誰かが軽くポンと背中を押してくれれば、確実に死ねるだろう」などと考える日々でした。
プラス思考で通していた病院生活から、 だんだんマイナス思考に取り囲まれた日常となり、不安のほうが大きくなっていきました。 村井のことはもうほっときなさい」「我慢してるんだろ?我慢しなくていいんだよ」と、たびたび言っていたという。
子育てが一段落したら女優として復帰を考えていましたが、乳がん治療と鬱のために復帰には時間がかかりました。
本名が玉井真喜子と言うそうなので、現在は結婚して苗字が変わっているのかもしれませんね。
そんな波瀾に満ちた生活だったのです。
だが、乳がんであることを隠し続けていたことが引き金になり、やがて音無さんはもう一つの悲劇を招いてしまうのである。 学校でいやなことがあったり、テストの点数が悪くても、 その舞台を観たらパアーッとすべてを忘れて幸せな気分になってしまって、 こういうふうに観る人の心を動かし、感動を与える舞台の仕事につきたいと思ったのです。 妻の音無美紀子は、1949年生まれの66歳。
(2016年5月 - 7月、) - なを• 娘に聞くと、 「一緒に料理したい」 と言う。 この引っ越しを加えれば、立ち直りのきっかけは四つということになりましょうね。
しかし離婚にいたることはなく、近年出演したトークバラエティー番組で音無さんは「良くモテたよね」とさらりと受け流すコメントをされています。
また音無美紀子の妹、音無真喜子も女優でした。
それにも関らず、 お二人は交際していたというのです! 音無さんは、村井さんが既婚者ということを、 途中まで知らなかったのだとか! そして、音無さんを村井さんに紹介したのは、 今は亡き、地井武男さんだったそうです。